家入一真さんの都知事選出馬に感じる、排他的空気の違和感
既に多くの議論がされている中で、自分の感じている事を残す意味でエントリーを。
〈肯定派〉
家入一真の選挙キャンペーンをつくって感じたこと(前編) - 美味しいコンセプト | 美味しいコンセプト
〈慎重派〉
イケダハヤト師 やっぱり「ぼくら」って排除の論理です 家入一真よ、「ぼくら」とは誰かを自分の言葉で語りなさい
若者の期待も虚しく、都知事選で「大惨敗」した家入一真氏が、今一番、考えるべきこと(片岡英彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
選挙に対する手法的な批判等は議論をされている為、僕が外からみて感じていた違和感を書きたい。
結論から言うと「非常に内輪ノリが強い、排他的グループ」と感じています。
その根底に感じるものは「俺達は正しい。それが分からないお前達は、面白く無い」という雰囲気です。
■「東京をぼくらの街に」という違和感
家入さんが選挙後、書いたブログの中に以下の文章があります。
むしろそういう少数派こそが多数派になってきているのが今の日本、特に都市である東京が抱える課題です。だから今こそ、多様な価値観や生き方をお互いに認め合い、支え合える社会のあり方を考えなければならないと思うのです。
つまり、彼の言う”ぼくら”というのは、少数派の集団が、マイノリティとして虐げられる事無く、主権者として同一に声を挙げられる場、という事だと思います。
この理念自体は、素晴らしい事だと思います。一方で、出馬記者会見では、ネットをしていない人へのアプローチに対し、こんな事も言っています。
ネットに引き込めばいいんじゃ? ネットやらない人たちって、これから厳しいと思うんですよね。これを機にネットにくればいいんじゃないですかね。インターネット楽しいよって。
選挙に対し、距離を感じているユーザーには、インターネットというツールを使い、丁寧にアプローチするのに、そもそもインターネットを使わないユーザーには「楽しいよ」の一言で参加を促す。
これは、インターネットの非利用者を排他していると考えられても仕方が無いと思います。
(その後、"お年寄りなどのネットやスマホを使えない方とのコミュニケーションについても、改めて課題を感じました。"と振り返っている為、考え方に変化があったかもしれませんが。)
こういった背景から、「ぼくらの街」といいつつ「インターネット利用者の社会的にこぼれ落ちた人」を対象にしていた、というのが感想です。
■対等な目線の選挙活動という違和感
政治というのを一部の人のものにしちゃいけないと思うんです。
上記は政見放送で話された中の一部分です。多くの人が、素朴な疑問でも良いから持ち寄って、自分達に身近な政治をしよう!という事だと思います。
その思いは、家入さんの「こぼれ落ちた人の居場所を作る」という意味からすると、理解できます。
だからこそ、既に政治力のある層との対立関係をあおる様な選挙活動を行ったのかが、違和感として残ります。
浮動層を取りに行ったとしても、そもそものターゲットが「こぼれ落ちた人」達なのだから母数が少ない。
その母数を増やす為にも、より他の層にも働きかける為のメッセージや手法が有ったはずです。
それこそ、家入さんの周囲には「こぼれ落ちた人」という「一部」の人しかおらず、言い方は悪いですが彼・彼女達は所謂「普通」のレールに乗れなかった人達なので、より理解を求める動きをすべきだったと思います。
■家入さん支持者の排他性の違和感
選挙なので、候補者が外部から色々と批評される事は当然です。
にも関わらず、高広伯彦さんや常見陽平さんにはtwitter等で支持者から激しいバッシングが飛んでおります。
これも非常に気持ちが悪く、今まで排除されていた人達に、家入一真という救世主が現れた。それを否定する人間は敵だ!と言わんばかりです。
支持者の方には社会人の人も勿論居ると思いますが、考え方が違った場合、議論を行い理解を求める事が必要です。
むしろ家入さん位、支持者の母数が少ない候補者であれば、批判は甘んじて受け入れ議論を重ねる事で、母数拡大に繋がるメリットしかありません。
それをいきなり排除する当たり、非常に勿体ない事を周囲がしてしまっていると感じます。
そうした動きが、益々彼らを孤立化させ、いつまでたっても目標である「ぼくらの〇〇」は実現出来ないのでは無いでしょうか。
僕はインターネット業界で働いている為、その楽しさは理解しています。
また、影響力もあると思います。一方で、インターネットはもっとオープンな場所で、だからこそ様々な意見を受け入れて議論する度量が必要だと思います。
今後も様々なアプローチを仕掛けていくと思いますが、内に向かうのではなく、外を巻き込んでいく動きを期待しております。