"マイルドヤンキー"という言葉に見る優越感について
凄く今更ですが「マイルドヤンキー論」が大人気ですね。
ソーシャルメディア上でも、いくつもニュースが拡散されています。だからこそ、そのテーマの書き手が増えて、流行ってる感が出て、みんないいね!を押して、また書き手が増えて・・・というサイクル中なんだろうけど。(俺もか)
僕の地元は和歌山県の田舎ですので、分析されている人達が存在する事は納得感があります。東京に出てきている僕の方が珍しいですからね。
そうした議論を見ていて感じるのは「何を上から目線で偉そうに言ってるの?」って事です。
以下に整理して書いて行きます。
■成長を目指さない=悪 という謎理論と優越感
マイルドヤンキー賞賛とその先にあるもの、、、 | Gen Shibayama
ハフィントンポストに投稿されたこちらの記事。かなり拡散されて人気ですね。
ここではマトリックスを使って、マイルドヤンキーを以下の様に分析しています。
【内向的(友達を開拓しない)】×【ITへのスキル関心が低い】
その対極にある”エリート”として
【社交的(友達を新規開拓する)】×【ITへのスキル関心が高い】
・・・なんですか、これは。前半はまだしも、大義にあるのが「エリート」って。
これでは、マイルドヤンキー=落ちこぼれ って言ってますよね。(まぁ実際、記事の論調はそうなんですけんどね。)
このブログだけで無く、他のブログでも「マイルドヤンキーはバカで低収入だから、このままだと利用されるよ~ヤバいよ~」とご丁寧に言っています。
ご存知でしたか 日本人の9割がヤンキーになる 1億総中流の時代はよかったなぁ | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
『マイルドヤンキー』の楽観と悲観/奥深いヤンキー問題 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
そして、やばいよ~の根拠として以下を挙げる。
『学校』のような『モラトリアム環境』でならともかく、魑魅魍魎のグローバル市場で生き残りたければ、思想も、策も、知性も、クリエイティブなイノベーションも、外国人との交流も、今より一層必要がになることは疑い得ない。率直にいえば、今後のビジネスの現実は、『マイルドヤンキー』には非常に厳しいものになるだろう。
この主張自体は間違っているとは思わない。が、ヤンキー層に限った話では無く、日本の労働市場全体に言える話ですよね。
勿論、彼達の賃金は下がり続け搾取される側になるだろう。だが、それの何がいけないのでしょうか。
その中で相互に支えあい助け合いながら、低収入ながら生きていくと選択肢は認められないのでしょうか。
ヤンキー層の特徴である「家族的」という点を活かした生活スタイルを模索・提案した方が、よっぽど建設的で健康的だと感じます。
上位を目指す事こそ善!という論調は、経済的に潤っている自分の立場が正しい!という考えから来る優越感に浸った見解だと思います。
下記のブログの様に〈緩やかな階層社会〉を認める事こそ、多様性が増している現在には必要なのでは無いでしょうか。